| うぇブログ - 最新エントリ |
最新エントリ配信 |
カテゴリ
メイン :
R情報(8) |
ゲスト卓話(2) |
セミナー報告(1) |
会員卓話(1) |
港講座(1) |
散歩(11) |
卓話(1) |
例会記録(4) |
最新エントリ
2007/11/17
|
カテゴリ: セミナー報告 :
執筆者: admin (9:04 pm)
|
第1749回例会 2007.09.11 『CLP研修セミナー報告』 阿部 五月男君 9月9日、釧路市で開催されました第二五〇〇地区CLP研修セミナーのご報告をさせていただきます。当初出席予定でございました西川副会長さんがどうしても都合が悪くなりまして出席できないということでしたので、私一人になって非常に心細かったのですが、出席してまいりました。その他に、主催者側代表といたしましては会員増強委員長の平野会員が出席しております。またパストガバナーでございます田巻先生もお見えになっておりまして、研修リーダーとのご紹介がありました。 すでに私どものクラブはCLPに基づきまして細則の改正も終わっております。これについては後ほどお話しますが、まだ地区内において取組の状況が進んでいないところもございます。CLPについてはガバナー月信などで一応話は聞いておりましたが、実際に研修に行って「ああ、なるほどな」と再認識した次第でございます。会員の皆さま方は先輩でございますので、CLPについての理解は多分お持ちだとは思いますが、いずれにいたしましても国際的に発足して五年足らずですので、これからが本場となると思います。国際ロータリーでは二〇〇三年二月の定例理事会において、効果的なロータリークラブを助長することを目的としてCLP、クラブ・リーダーシップ・プランを試験的に導入してはどうかということが原点であったようでございます。二〇〇四年十月三十日に国際ロータリー定例理事会でこの効果的なロータリークラブの管理の枠組みを決めまして、正式に採択されたという状況でございます。 二五〇〇地区ではどのような状況になっているかといいますと、平成十九年八月二十日現在で実施しているクラブ数は二十三でございます。わがクラブは昨年七月からです。紋別クラブは今年の七月です。これから導入予定なのは、清里、旭川東北、釧路ベイの三クラブとなっています。現在検討中が十八クラブございます。私たちの管内ではその中に雄武クラブが入っております。若干様子を見たいというのが十クラブございました。これには滝上クラブが入っております。その他、このアンケートに対する回答がない十四クラブの中には興部クラブが入っています。これが今日の状況であるようです。 先ほど申し上げましたように、当クラブとしては二〇〇六年、第一六七二回例会におきまして、田巻パストガバナーからいろいろお話があったことを記憶しております。地区協のホストクラブでもあるし、当クラブでも早急に取り組むべきだというご提言がありました。直ちに取り組んでクラブ細則を改正し、地区大会に臨んだというのが現状でございます。 研修会の中身ですが、まず第二七六〇地区パストガバナーでございます斎藤直美先生からの講演がありました。その後、CLP推進委員長である成田育夫さまから経過並びに取り組み状況、今後の活動についてのお話がありました。これらについては、すでに昨年ガバナー月信等で具体的かつ詳細に基本的な考え方について述べられていますので割愛させていただきます。 その後、「クラブ運営とCLPの効用について」ということで平野会員増強委員長さんからいろいろお話がありました。有意義な研修会であったと思います。 組織の機構についてはA案、B案、C案といういろいろな案がございましたが、当クラブはC案を採択しております。今年からカテゴリーAとBに分けまして、今後の効果的な運営を図るべく取り組んでいるということでございますので、非常に心強く感じて帰ってきた次第です。 この取り組み状況あるいはこれからの問題点について、成田委員長さんからいろいろ皆さんの意見を聞きたい、取り組んでいないところ、取り組んでいるところの意見を聞きたいということで、状況を説明して質疑応答の時間を持ちました。残念ながらどこのクラブからもコメントが一切ございませんでした。この辺りはちょっと寂しかったなあと。私も何かと思ったのですが、まだあまり詳しくないものですから何も発言しないまま帰ってきました。残念に思っております。これから大いに勉強しながら臨んでいかなければならないと思っております。 今後はCLPに基づくクラブ運営をより効果的に運営されることが大事ですので、これらの活動を有意義に進めていくことがわがロータリークラブのこれからの発展にもつながっていくと思います。今後皆さん方とともに委員会運営を中心としたクラブ活動をしてまいりたいと思っております。 簡単ではございますが、報告に代えさせていただきます。 |
2007/11/17
|
カテゴリ: R情報 :
執筆者: admin (8:46 pm)
|
第1743回 港のロータリー講座より 2007.07.24 『港のロータリー講座 平野 克昌君 今年度初めての港のロータリー講座です。新入会員の皆さまもだいぶ増えられました。古い会員の方には聞き飽きた話になってしまうのですが、私がロータリーに入りまして最初に教えていただいたようなことから今期は始めようかと思っております。 ところがどうしても今日お話ししておかなければならないという問題が一ヶ月ほど前に起きました。例の苫小牧のミートホープ社の話です。まさかあそこの経営者がロータリアンであろうとは夢にも想像しなかったのですが、現実にはロータリアンであり、会長や職業奉仕担当理事もなさっておりました。この問題については、最初はインターネットで「けしからん。そんなものはクビだ」などいろいろなメールが飛び交ったようでございますが、山市さんによりますと今のところは沈静化しているそうです。しかしほとぼりが冷めたからと言って「十万もいる日本のロータリアンの中に、たまにはああいう人がいても仕方がない。俺たちは気をつけていこう」というだけでこの問題を片付けていいのか、私には疑問です。 小堀憲助先生は『ロータリー思想の理論構造』の中で、ロータリーを三つの角度から分析されています。一つは制度としてのロータリー。小堀先生は制度的意味論と言っておられます。もう一つはロータリーの掲げる理念という側面から研究しようという理念的意味論。もう一つはそのロータリーの制度の中で、しかもそのロータリーの理念の下で、実際にそれを構成し活動する一人一人の人間に焦点を当てた、個人責任的意味論。小堀先生はそういう三つの側面から見ておられます。 今回の場合、個人責任的な意味論については論ずるまでもありません。 ロータリアンがどういうことをしなければならないかは、制度上も理念的にも明確です。ですからそれはその方の問題としてさておきまして、一番問題になりますのは、制度的な意味におけるロータリーの在り方だと思うのです。この場合に申し上げますロータリーと言うのはロータリークラブのことを指すわけですが、そのロータリークラブのすべき目的は何でしょうか。これにつきましてはどこに書いてあるかというと、手続要覧の中にもあまり詳しくは書いていないのです。「ロータリークラブとは」ときちんと書いてあるところは、社会奉仕の項にありますいわゆる決議二十三の三十四なのです。その二号に「本来ロータリークラブとは…」とロータリークラブの成すべきことが記載されています。第一には職業の倫理と人生の哲学を学ぶことであり、第二にはただ自分だけが学ぶのではなく、そういうことを自分の周りや地域社会に唱道しなければならない。第三には各人がその日々の生活においてそのことを実践しなければならない。第四にはそれはただ個人的な、自分たちロータリアンだけの実践に留まることなく、その方法は個人奉仕でも団体奉仕でもいいから社会の多くの人々がそのような実践を学ぶ機会を与える必要がある。決議二十三の三十四ではロータリークラブの目的をそのように言っているのです。 そうしますと、ロータリアンがロータリーによって高い水準の職業倫理観を持つことが、ロータリーの目的の一つであります。どういう方法でそれを成し得るかというと、クラブ親睦ですね。クラブにおける親睦によってロータリーの会員がお互いに切磋琢磨し、自己研鑽し合って自己の職業観を高めていく努力をしなければならないのです。そのためにロータリーは制度として毎回の例会出席を非常に強く求めますし、またこの頃かなり崩れてはきていますが、一業種一会員制という制度を設けたわけです。それによってお互いに奉仕の心を作っていく。より高い奉仕の心を毎回の例会で作っていく、それがロータリーで申します親睦の内容です。 それからもう一つ、ガイガンディガーが言っていますように、一業種一会員で選ばれた会員は各業界から選ばれてロータリークラブに入ったわけではなくて、ロータリークラブがそれぞれの業界から一人の人を選んで、ロータリークラブの大使として各業界に派遣するという考え方なのです。そしてロータリーの良さ、ロータリーの倫理観などを業界に広めようではないか。それを一番よく実践したのが『ロータリー通解』のガイガンディガーです。あの人は元々フィラデルフィアの弁護士さんですが、その後レストラン経営者になりました。そして全米のレストラン業界の倫理水準を上げてきたのです。 今度のミートホープ社の事件を考えますと、おやりになった個人のことは別問題ですから何ら関知しなくてもいい。しかし私が一番気になりますのが、その方がおられたロータリークラブです。そこできちんとしたクラブ親睦ができていたのか。結論を言えば、できていなかったんですね。今申し上げたような意味のロータリー的な親睦がきちんと成されていなかった。ロータリークラブの親睦をただ軽々しく見るのではなくて、こういう事象が起こることは即ちそのクラブの親睦が破綻していると見なければならない。 それに一番よく説明がつくのは、この前の卓話でお話ししましたフランク・マルホーランドの話です。シェルドン一派の人たちが「職業倫理、職業倫理」と言うけれども、世の中には貧しい人、弱者がたくさんいるではないか。彼らはその人について涙しようとしない。それは人間としておかしいのではないか。そういうこともロータリーはすべきだ。そのためには彼らにそういうことに気付かせなければならない。そしてそういうことに手を差し伸べるようなロータリアンにしなければならない。マルホーランドはそう考えたのです。もちろんガイガンディガーの本にもありますが、親睦の中に教育性、お互いが知らないことを補い合っていくのですが、そういうクラブにおける教育性があるではないか。そういうことがまるっきりできていなかったことが一つの結論であると思うのです。 ロータリー財団とロータリーの関係、財団あってのロータリー、二輪の車などと間違ったことを言う人もいます。ロータリーのことも親睦と奉仕とは二輪の車だと言いますが、一番大切なのは親睦です。親睦なくして奉仕はないんですね。「私はもう心が完成して奉仕ができる人間だから、ロータリークラブにいなくても立派な職業人です」というのはロータリーの世界では成り立たないんですね。なぜならロータリーの考える奉仕の理念はそんな目先にぶら下がっているものではなく、無限であり無窮であって行き着くところを知らない。そういう世界までロータリーは追求していくのです。ですからそれを求めるためにどうしても例会に出てこなければならない。例会をするためには各委員会がいろいろな準備をしなければならない。そういったことが組織立てられた。そういう全ての動きによって、例会という一つの花の咲く場でお互いがクラブ親睦のうちに自己研鑽していく。ロータリーの求める奉仕には行き着くところがないわけですから、ロータリーと言うのはなかなかやめられないのです。 それでちょっと思い出したことがあります。ポール・ハリスがある友達にこんなことを書いています。彼が最初に書いた本『ザ・ファンダー・オブ・ロータリー』を送った時に走り書きしたものです。笹部誠先生がその本を手に入れて、解読しました。ポール・ハリスはこう書いていました。「ロータリーは人を捕らえるか、捕らえないかのどちらかだ。もし捕らえれたとしたら、普通生涯を通じるものである。七年半前以前君に初めて会って思ったことは、ここにも一人被害者がいるということだった。彼は捕まったな、と。その後僕の考えを変えるようなことは決してなかった。ロータリーの哲学は君の考え方に避けることのできない役目を演じているものと信ずる。」。ロータリーは分からない人には分からないが、分かる人が分かって捕まったら逃げられない。そんな面白いことをポール・ハリスは友達に言っているわけです。 今度のことについて私が一番感じましたことは、クラブ親睦の重要性です。クラブ親睦を破綻させるようなことがあってはならないと思った次第です。 次回に機会を与えていただけました際には、ポール・ハリスの話からいろいろしていきたいと思います。 本日はありがとうございました。 |
2006/11/18
|
カテゴリ: 例会記録 :
執筆者: admin (1:30 pm)
|
−68クラブ、それぞれに特徴− ガバナー公式訪問を終えて ガバナー 小野 哲君 とりわけ暑かった今年の夏。阿寒湖ロータリー・クラブから公式訪問が始まりました。エアコンのないホテルでの宿泊が連続し、暑苦しい夜を過ごした事がつい先日のような気がいたします。十月末、公式訪問先の旭川から早朝帰って来ましたが、途中浮島付近の樹氷がキラキラと輝いているのを見たとき、公式訪問の四ヶ月間の時間の経過を実感いたしました。 私は、ガバナーを引き受ける際、「公式訪問では、会長・幹事懇談会、クラブ協議会、例会を通して、出来るだけ多くのロータリアンとロータリーについて語り合いたい」という願いを込めました。ロータリー一〇〇年を経て、二世紀の扉を開いた今こそ、ロータリーについて語り合い、原点を見つめる必要を感じていたからであります。そして公式訪問を終える今、我が地区内ロータリー・クラブは、奉仕の実践活動に対して、従来に増して積極的な行動を起こし始めたーと実感致しております。RIのボイド会長の「率先しよう」のテーマが、各クラブの活動に強く浸透し、それが活動として表面化してきていることに、強い感銘受け、喜ばしく思いました。 クラブ公式訪問の最初の出会いは会長・幹事懇談会。共通しているのは会員増強の難しさです。過疎化、不況という社会現象は、会員増強に対して大きな壁になって居ります。しかし、各クラブとも会員増強には最大限の知恵と努力で対応しております。「年度末には、間違いなく純増に持って行きたい。その自信はある」というクラブが決して少なくなかったことは、大変心強く、クラブの頑張りに拍手を送りたいと思います。毎年下降線をたどる地区内ロータリアン数。最盛期より約八〇〇人も減少して居りますが、もしかしたら今年度は下げ止まりの年度になるかも知れません。ただ、そんな甘いものではないような気もして居ります。 地区内で、会員が急減したクラブが少なからずありましたが、何が起きたのかその原因を聞きました。その結果、長期に渡って何の連絡もなく出席してこない会員などに対し、会長が直接面談し、ロータリーに対する今後の考え方について聞いたそうです。つまり中途半端な考えの会員に対し、会員としての義務、成すべき事を問い直したと言うことです。その結果、退会、または残留の態度を鮮明にすることが出来、大幅な退会者にも繋がったそうです。しかし各クラブとも、会員数は大幅な減少したけれど、それは折り込み済みで、かえって毎例会が納得できるものとなり、会の雰囲気もとても良くなったそうです。「さあ、これから会員増強だ」と、張り切っている姿が印象的でした。 クラブ協議会では小委員会毎に意見交換を行いました。私からの質問、相手からの問いかけ、それに対するそれぞれの考え方など、緊張感の中にも有意義な協議会になりました。私が目指した「ヒザをまじえての意見交換」が、好意あふれる雰囲気の中で行われました。その中で感じたことは、各クラブの方向として「お座なりな事業では地域には理解されない。一番大切なのはロータリアン自らが汗を流して、地域の人達と一緒に行動すること」という考え方が、浸透しているということです。私は、ロータリーの実践活動に“血が通ってきたな”と思いました。社会奉仕にしても新世代プログラムにしても、地域の実情を把握し、地域からのニーズを適格にとらえながらの奉仕事業が目白押しでした。また、人と人との温かい心の交流も、各クラブに見受けられました。登山したことのない身障者の手を引き、一緒になって山に登るロータリアン。つないだ手の温もりから、人と人との温かい交流が生まれる事でしょう。また、「何か、国際交流のプログラムに挑戦したい。それをクラブの活性化につなげ、ロータリー・ファミリーとしての活動を広げたい」と意欲を示すクラブもあります。 六十八クラブ、それぞれに特徴がありました。ロータリーを語り合って、その中から感動も生まれました。夜間例会を終え、二次会で十一時半まで、歌って語り合って、肩を叩き合い、握手をしながら笑顔を交わしたこともありました。我が人生で、これほど多くの方々と、しかも地域を牽引する方々と胸襟を開いて語り合ったことは今までにありません。このチャンスを与えて下さった我が港ロータリー・クラブの皆様、そしてガバナー事務所のスタッフの方々など、多くの皆様に心からの感謝を申し上げます。 |
2006/11/06
|
カテゴリ: 例会記録 :
執筆者: admin (10:58 pm)
|
小野ガバナー講話 ガバナー 小野 哲君 今年度のボイド会長のテーマは「率先しよう」です。昨年のステンハマー会長の「Service Above Self」の時にいろいろな論議がありました。今さら初期のロータリーのモットーである「Service Above Self」を自分の年度のテーマにするとは何事だ、ということも若干あったようですが、私は全然そう思いませんでした。ロータリーが百年の節目を迎えた。 その時に初期ロータリー、本来のロータリーの原点に戻ろうではないかということをステンハマー会長が示唆したものだと思うのです。それを受けましてボイド会長が「率先しよう(LEAD THE WAY)」をテーマにしました。これは見事に前年度のステンハマー会長とコラボレートされています。原点に戻ろう。しかしロータリーは実践をしなければならないよ、ということをテーマに掲げたものだと思っております。 でも自分の職業が何だ、立場が何だと、例えば国会議員でも公的な立場の方々がやっています。原点に戻ればそんなことはないんですね。知事というのは何なのか。県民のために自分の人生の多くの時間を、人々のために費やすことができたなら、自分の人生は実り豊かなものになるという奉仕の気持ちで立ったものが、いろいろな誘惑がありまして金銭的なことで五期二十年間県民を騙し通していたという事件もありました。彼はどうでもいいことですが、県民には非常に申し訳ないことだと思います。最初からそうではなかったと思いますが、人というのはそういうところがあります。気を付けていかなければならないと思います。 一九三五年のことであります。一人の男が、バーモント州のきれいな湖で泳いでいました。ポール・ハリスです。彼は幼年時代、お父さんとお母さんのご都合で、どうしても父方のお祖父さんのところで生活しなければならなくなりました。それがウォーリングフォードという小さな小さな村でした。私はこのことが非常に印象的なんですね。 六十七歳の誕生日、彼は幼年時代を過ごしたその湖に友だちと一緒に行き、制止を振り切ってそこで泳いだんです。これは想像の域を脱しませんが、自分の六十七年間の来し方人生を思い浮かべながらいろいろなことを考えていたのではないかと思います。初期ロータリーを立ち上げたこと、幼年時代をここで過ごしたことを考えながら…。人はいつでも原点に戻る。幼年時代を過ごしたこの村のことを考えながら、ロータリーの原点に戻りながら、これから自分はどういう人生を送っていったらいいのだろうか。おそらくそのようなことを考えたのではないかと思います。 ロータリーに心を入れて、ロータリーの奉仕哲学を完成させていった偉大なリーダーでありますアーサー・フレデリック・シェルドンもまた、若い頃にカリフォルニア州のサクラメント川を見たときに「この川の出発点はどこにあるんだろう」と、友だちと一緒に遡ってずっと歩いていきました。遠く遠く、するとだんだん川が細くなって出発点に近くなってきた。その目の前にシャスタ山という万年雪を湛えた山があった。「この山からこの川は生まれたのか」と感じるわけです。 何かを確かめて、自分の人生の節目節目で出発点を迎えていくのは人間にとって必要なことではないかと思います。あの有名な決議二十三の三十四があったとき、ポール・ハリスは身体が弱くてあまりロータリーでは活躍していませんでした。しかしこの一九三五年、六十七歳の誕生日。その年に実は日本に来ています。彼は六十七歳を過ぎた辺りから世界中を回ってロータリーを確かめながら、普及させていきました。湖で泳いだことが何か彼の人生を変えていったように思います。 私たちロータリアンの原点とは何なのか。それと同時に自分たちの職業を通して、あるいは生活するということはどういうことなのか。それをこの機会に考えていくことが必要だと思います。やはりロータリアンである以上、ロータリーの奉仕哲学、奉仕の心とは何なのかということに戻っていくことが必要だと思います。一九〇五年にロータリーが出来ましてから、一年一年、非常なスピードを持ってロータリーの奉仕哲学は完成していくのです。 ケンケンガクガクとした論議がありましたが、皆さんの心に共通していたのは非常に純粋な気持ちで、人生に真っ正面から立ち向かっていったということです。純粋な心、それは正にウォーリングフォード、ポール・ハリスの故郷の風景に似たものがそこにあったと思うのです。それを中心にして発展していったのです。 決議二十三の三十四、あるいはその後二十数年かけて、大体四分の一世紀をかけて完成していった、成熟しつつあるロータリー。ここのところに立ち返ることが、原点に立ち返ることなのだと思います。その純粋な、人と時間が見事な織物を織りなしていったようなロータリーの心。ここに学ぶと決して私たちは間違った人生を送ることはないのではないかという気がいたします。 ロータリーというのは本当に理想が高くて、これに近付くのは大変なんです。しかしそこに近付く努力こそ必要だと思います。過去を振り返ってみれば、それぞれの心の中に「こんな人生だったなあ。あんな嫌なこともあった。でもこんな幸せなこともあったなあ」と、人生の地図の彩りが分かるわけです。 しかしこれから先のことは本当に分かりません。自分の目の前に展開する風景は真っ白い地図のようなものです。 そこにこれから自分たちに残された人生の色を塗っていくわけです。その時に倫理観を持ちながら、間違えない人生、人様に迷惑をかけない、できれば人様やこの地域のために何かできるような人生を送りたいと思うならば、やはり私たちの身近にあるロータリーの奉仕精神に立ち返ることで、誤りなき人生を送ることができ、やがて振り返ったときに「ああ、結構いい模様が描けたなあ」と思えるでしょう。 その道標になるのが、ロータリーの奉仕哲学であろうと思います。そんなことを考えながら、それに少しでも近付くような努力をしていきたいと考えています。 |
2006/11/06
|
カテゴリ: 例会記録 :
執筆者: admin (10:53 pm)
|
ガバナー補佐挨拶(公式訪問例会にて) ガバナー補佐 長屋 栄一君(滝上RC) ただ今ご紹介いただきました、滝上RCの長屋でございます。小野ガバナーも申しましたが、私はこの第四分区の八クラブを随行して一緒に回って参りました。小野ガバナーとご一緒したのは四×八の三十二時間となります。これが補佐の立場ではなければ、滝上RCだけで小野ガバナーのいろいろな話を聞いて終わりだったと思います。補佐を引き受けるときは大変だなと思いました。周りからも「大変だろう」と言われました。確かにいろいろな面で時間を割かれましたが、このように公式訪問を終わってみますと、この間の地区大会のパネルディスカッションで斎藤パストガバナーから二十年目にして目覚めたというお話がありましたが、私は多分十六年目で目覚めるのかなと思っております。そういう面で小野ガバナーと一緒にロータリーの年度をやることができて、非常に光栄に思っていると同時に感謝したい気持ちでいっぱいであります。 実は私は今から三十二年ぐらい前に、カナダで一年あまり過ごした時期があります。酪農の勉強に行ったのですが、農場に入って朝晩仕事をして、その家族と一緒に一ヶ月ほど生活しました。その後で州立大学の研究室に行き、教授に付いて勉強しました。高校時代に聴いた「朝日の当たる家」という曲があったのですが、それに非常に惚れ込みました。その中に出てくるニューオリンズという町に是非行ってみたいという希望をずっと持っていました。全ての研修が終わった後で、アメリカに向かって一人旅を始めたのです。その道中、五大湖の付近は酪農の非常に盛んな地域なのですが、そこにある日本でも有名な牧場を何軒も訪ねました。前触れもなく訪れたわけですが、非常に歓迎を受けました。ある農場では夕方にお邪魔したのですが、搾乳の仕事が終わってから「ご飯を食べて行け」と、見ず知らずの人間を家庭に案内してくれました。私が受けたアメリカ人の印象は、非常に親切だというものでした。 その後、シカゴでニューオリンズ行きのバスを待っておりました。当時、私は百五十ドルで一ヶ月自由にアメリカ全土の路線を乗ることができる周遊券を買っていました。バス停で待っていると、二メートルぐらい身長がある黒人が私の側に近寄ってきて、「一緒にこないか」と言うのです。どんなことになるかわかりませんから上手に断りまして、一昼夜半ぐらいかけてニューオリンズに着きました。私にとってシカゴは非常に怖い街だという印象がありました。 当時からマフィアの本拠地ということもありました。そこで一九〇五年にポール・ハリスがロータリー運動を始めたとは、当時は全く知る由もありませんでした。また私がこのようにロータリーに入会するなど思いも寄らなかったのです。 ロータリーに入って、いろいろな違う職業の方とお話しする機会がありますし、そういう中でいろいろな勉強もさせていただきました。ロータリークラブはどちらかというと商工関係の方が多く、なかなか一次産業である農業や酪農の会員は見渡しても少ないわけです。会員同士の中でいろいろな事件が起きるたびに、ロータリーの精神を重ねてみることがございます。 たまたま今年の春に牛乳が余るということで、卓話をしてくれと頼まれて引き受けました。ただ余っているということではありません。いろいろな統計資料を遡ってどこから始まったのかを話さなければならないことです。牛乳はバターと脱脂粉乳に分かれるのですが、その脱脂粉乳が平成十二年ぐらいから急に余りだしました。それまでは牛乳も今のように成分無調整の牛乳と脱脂粉乳を主体にした加工乳の二種類が店頭に並んでいたのです。その平成十二年に大阪で食中毒事件が起こりました。雪印乳業が作った加工乳が原因でした。その原料が十勝の大樹町で作った脱脂粉乳だと判明しました。雪印乳業は当初その事件を内々に済まそうとしましたが、日増しに食中毒患者が増えてマスコミも取り上げ始めました。最終的に一万五千人を超える患者数になってしまい、うち一人がお亡くなりになりました。 私もテレビを見ていましたが、マスコミが「患者に対してどう思うか」と雪印乳業の社長にマイクを向けました。その時に社長は「私だって寝てないんだ!」と言ったのです。確かに会社のトップとして夜も寝ないで対応しなければならない。ところが一方で一万五千人が腹が痛くて熱が出た、下痢だと夜も寝られないでいる。それと同列ではないんですね。この時つくづく感じたのは、企業が大きくなればなるほど、トップの人間の発した言葉はその後にとんでもない影響を与えるものだということでした。言葉が一旦出てしまうと、後からいくら弁解しても取り戻せません。九月を過ぎてから社長はとうとう辞任します。それだけで終わらず、雪印は飲用牛乳から撤退しました。 そういったことを見ましたときに、超我の奉仕や職業倫理訓、「全ての人に対してしてもらいたいと思うことをしてあげましょう」というロータリーの精神を思い出します。雪印の社長が会員であったかどうかは分かりません。けれども何か事が起こったときに、その後の対応で命運が分かれるものだと思った次第です。 昨日興部RCに行った帰りに車の中でラジオを聞いていると、国会討論会をやっていました。民主党の議員が質問をしていたのですが、もう四十年前に会田雄二という人が卒業する学生を前にして、普通であれば激励や祝福の話をするところを、「私はあなた方が社会に出ていくことを非常に憂慮する。何故か?あなた方は歴史を学んでいない。宗教を学んでいない。倫理を学んでいない。だからあなた方が社会に出てどんなに立派なことをやっても、私は非常に心配だ」という話をされたそうです。最近の高校で歴史や倫理、地理などの必修科目を履修していなかったということと繋がるのかなという気もしますが…。 こういう時代、小野ガバナーの下でいろいろな勉強をさせていただき、紋別港RCの皆さん方とのいろいろな話の中で、今までは職業というのは自分のためにたくさん儲けることを中心に考えるのが普通だったのですが、そうではない。自分の利益もそうだが他人の利益も考えて、その調和を図っていくことがロータリーの精神なのだということを学びました。非常に感慨深いものがありましたし、これから一職業人として今回をきっかけに学んだことを肝に銘じて、ロータリー活動に、そして職業も含めながら邁進したいと思います。 拙い話になりましたが、皆さま方へのお礼のご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。 |
2006/11/06
|
カテゴリ: R情報 :
執筆者: admin (10:43 pm)
|
ガバナー公式訪問例会 ガバナー挨拶 小野 哲君 語れば尽くせないので、一言で申し上げます。 本当に皆さまにはお世話になりました。皆さまの声援を背に受けまして、無事公式訪問を終えることができました。いちいち言えば全ての方に感謝を申し上げなければいけません。また別の機会にということで、本日は心からの感謝を申し上げたいと思います。 この日が来るのをとても楽しみにしていました。やはり毎週の例会にはほとんど出席できませんでしたが、スタートする七月に、やがて来るこの最終例会を頭に思い浮かべながら回らせていただきました。六十八クラブへの訪問全てが大変実りの多いものだったと自分では思っております。やはり皆ロータリアンだなあと心から感じました。温かく迎えていただき、会長幹事懇談会、クラブ協議会、例会と本当に楽しく意味のある会合をさせていただきました。それぞれのクラブにできればもう一度メークアップしたいと思っているほどです。 本日は会長幹事懇談会からクラブ協議会まで、「こんな形で私はクラブ訪問いたしましたよ」ということをご報告申し上げる意味で、同じような形で一つ一つの委員会に対して意見を述べさせていただきました。指導したなどということではなく、少々面映ゆい部分もあったのですが、真面目にやらせていただきました。先ほどの佐藤会長の丁寧なご挨拶、本当に感激しております。ありがとうございました。 また第四分区の長屋ガバナー補佐には本当にお世話になりました。励ましていただいたり、それぞれのクラブの特徴その他人間関係等も私に教えていただきました。今回は八分区全てのガバナー補佐が皆特徴のある方です。お世辞ではなく、それぞれの方に万感の思いを込めて感謝申し上げます。とても楽しかったです。 公式訪問という大きなものをクリアいたしました。地区協議会から始まって地区大会、この公式訪問、本当に皆さんにお世話になりながら、自分としては本当にガバナーをやってよかったと思っております。田巻先生から「お前、ガバナーをやれよ」と最初に電話がありました。「じっくり考えろ。だが断るな」という非常に矛盾したお言葉をいただきまして「困ったな」と思いましたが、今はガバナーをさせていただいてよかったと感謝申し上げる次第です。 十一月以降は地区に対して、三十四地区の方々と意見交換したりRIに意見を具申したりということに全力投球していきたいと考えております。まだ四ヶ月終わっただけですから、さらにエンジンをかけて頑張って行きたいと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。 |
2006/10/04
|
カテゴリ: ゲスト卓話 :
執筆者: admin (11:23 pm)
|
『満天の星〜駅逓物語り〜』 劇団海鳴り 事務局長 五十嵐 陽子氏 こんにちは。五十嵐です。今日は宣伝の機会を与えていただきまして、本当にありがとうございます。 同じ目標を持った十代の若者十人が結成した劇団が、四十周年を迎える。私たちにとって毎年繰り返してきたことが、気が付いたら四十年経っていた、ということです。私がこの『満天の星』を書いたのですが、書こうと思ったいきさつをお話したいと思います。 私は四年前の第二十回北海道演劇祭、札幌演劇祭に海鳴りとして参加を決定いたしました。そこでやりたい既製台本を見つけることができなくて、「じゃあ私が書きます」と無謀にも手を挙げてしまいました。言ったものの、何を書いたらいいかさっぱり分かりません。例えば現代劇を書いたらいいのか、時代劇を書いたらいいのか。ジャンルとしてはラブロマンスかサスペンスか、推理物か。全然的が絞れなくて、悶々と悩んでいました。ちょうどその頃は年末で、暮れも押し迫ったある日、ふと思い浮かびました。一九六〇年代のハリウッド映画のアン・マーグレットのデビュー作で、主演はベティー・デービス。フランク・キャプラー監督の『ポケットいっぱいの幸せ』という映画でした。この映画を見たときにすごい感動を覚えまして、いつかこれを劇化できたらいいなと感じたことを思い出したのです。これをモチーフに、舞台を昭和三〇年代の紋別に置き換えて、人情劇に台本化しました。何と自分を主役に書きました。札幌のある劇作家にアドバイスを受けながら、七稿で書き上げました。『かもめ座の灯り』と言いまして、札幌市、湧別町のさざなみホール、そして紋別公演の四ステージをこなしました。 四十周年の作品も創作劇で行こうと海鳴りの総会で決定し、再び私が書くことになりました。四年前と違いまして、早くから上藻別の駅逓を書きたいと思っていました。私たちも上藻別駅逓の修復に少し関わらせていただきましたので。そう思ってずっと温めていたのですが、なかなか登場人物が定まりません。駅逓の取り扱いをなさっていた家族の方が大山町にお住まいで、フィクションとノンフィクションのバランスもありました。けれどもやはり気難しい話ではなくて、笑って泣いて…私の原点は人情にある。そこはぶれないでいこうとだけは思いました。長い間悩んでいた登場人物たちですが、四年前のかもめ座の家族にしようと決めました。 その家族が駅逓に行って取扱人になる話にしよう。一回書いてみたかったのがタイムスリップ物でした。現代から過去へ、現代から未来へ、いろいろなパターンがありますが、昭和三十四年から大正十五年の上藻別に降り立った家族が、そこの村の人や行き交う旅人とやり取りする人情劇ということでプロットは決まりました。もう少し過去に持っていきたかったのですが、上藻別の駅逓が開設したのが大正十五年ということで、史実に基づいて書くことに決めました。 今年二月に先ほどのご家族、八十四歳の奥さんにお会いして聞き取り調査を行いました。彼女は嫁いだお嫁さんだったのですが、とても面白い話をたくさん聞かせていただきました。でも私が考えたあらすじとのバランスもありますし、やはり上藻別駅逓を語るには鴻之舞鉱山は絶対不可欠です。そこで鴻之舞鉱山の話もちょっとエキスとして加えさせていただき、クライマックスは駅逓が山火事に見舞われるというシーンにしました。実際に上藻別は山火事が頻繁に起きていたところだそうです。最初クライマックスのシーンを洪水で村がなくなるという設定にしたのですが、上藻別関係者から「いや、あそこの川は絶対氾濫しない。鉄砲水も絶対起きないから、それは使わないでほしい」と言われまして、山火事にしました。今だんだん稽古が進んできたら、やはり山火事のほうが迫力があるな、よかったよかった、と思っています。 四十周年記念ということで、今まで関わってくれた人たちも一緒になってお祭りをしようと書いていきましたら、役者が三十人にも及びました。西本さんにもお願いしたのですが、ちょうど地区大会と重なるということで、残念ながら今回は出演していただけませんでした。次回またよろしくお願いいたします。 作家はただ活字を書けばいいだけです。例えば「ここで馬小屋が焼け落ちる」とか「満天の星空が輝いている」とか「タイムスリップした人間がふわあっと木の葉のように落ちてくる」とか。ところがスタッフは大変ですね。さあこれをどう仕立てればいいのか、並大抵でないと悩むわけです。でもこれは作家の特権かと思って、書きたいところだけ書かせてもらっています。 今回は前回のようにアドバイスをしてくださる方を敢えて頼まないで、自分一人で書きたいと思いました。二月から書き始めて、約一ヶ月で二時間の台本を書き上げました。私は書くのが非常に早くて、プロットが決まりましたらシーンが頭の中に浮かんで、そこに台詞をざあっと付けていくという作業でいいんです。ところがこの一気に書くという作業に落とし穴があります。いいか悪いかを判断している暇がない。北見の劇作家に言わせると、とにかく書きたいことがあってもまずはメモして、一晩なり二晩なり冷静になってから読み返して活字にしたほうがいい。本当にその通りだと思いました。今回は前回よりも直していると感じています。 芝居の稽古は台本ができて、役者が本決まりする前にランダムに読み稽古に入ります。それが終わって、演出が命を懸けてキャスティングします。それからいよいよ本格的に本読みがスタートするんですが、台本で活字に書いて「よし、これで行ける」と思っても、いざ言葉にしてみると不都合な部分が無数に出るし、登場人物の性格付けも思っていたものと全然違ってきます。その人の話し方、ニュアンスである程度の性格付けができてしまいますから、そこでもまた細かい手直し作業が出てくるわけです。週四回練習しているのですが、昨日もまた書き直しました。気が付いたら十五回以上手直しが続いています。多分これは本番直前まで続いて、演出と役者さんには非常に申し訳ないと思っているところです。 私たちは日常自分の意思や思い、考え、憎しみ、悲しみ、苦しみ、愛情その他の感情を、言葉という手段で相手に伝えます。言葉のないところにコミュニケーションは生まれないと思います。お芝居はその言葉を活字を使って台本にし、稽古を重ね、生きた言葉にして相手に伝えるという作業です。どんなに言い回しがうまくても、生きた言葉になっていなければ相手には伝わらないと思います。民芸の名優だった故・宇野重吉さんは「思えば出る」という言葉を使って指導していたと聞いています。 逆に言うと、思っていないことは出ない。嘘を言えば伝わらないということだと思います。これは日常の生活でも、誠意や責任にも重なると考えられると思います。今、三十人の役者たちは「思えば出る」を合い言葉にして、日夜稽古に励んでいます。作家と主役と二足の草鞋の私が、一番その事を思って稽古に励まなければならないと思っています。どうぞ皆さま、この『満天の星』、市民会館でお待ちしています。是非足を運んでください。ご静聴、大変ありがとうございました。(おわり) |
2006/10/04
|
カテゴリ: ゲスト卓話 :
執筆者: admin (11:15 pm)
|
『結成四十周年によせて』 劇団海鳴り団長 我孫子 正好氏 皆さま、こんにちは。劇団海鳴りの我孫子でございます。どうぞよろしくお願いいたします。通常市民会館などですと、五百人、六百人というたくさんの方の前で芝居をやるのですが、逆に少人数の前で話すというのはなかなか機会もありませんし、緊張してしまいます。特別「こんなことを話したいな」と準備もしてきておりませんので、話がどっちに飛ぶやら自信がありません。私から十分ほど、五十嵐のほうから十分ほどと半分ずつ時間をいただいて話をさせていただきたいと思います。 近藤さんからもご紹介いただきましたが、劇団海鳴りの結成は昭和四十一年十月のことでした。既に四十年が経ちます。当時私はまだ高校三年生でして、まさかこんな年まで芝居に関わるとは思ってもみませんでした。気が付くと皆さまにご協力いただきながら、もう四十年が過ぎたと感無量です。なぜこんなに長い間続けてこられたのかと思い返しますと、やはり市民の皆さんの絶大なるご協力の下、というのがまず一番だと思います。そちらにいらっしゃる西本議長さんをはじめ、たくさんの市民の方にも舞台に立っていただき、協力をいただきながら何とか続けてこられたと思っております。大変感謝しております。 演劇というのは、芸術の分野では総合芸術と呼ばれています。例えば絵の場合は描き手の想像があって、それを二次元、つまり縦と横のある面に表現する。写真ですと実際に起きていることを切り取る。表現方法としては絵と同じですが、写真には時間が入ってきますね。現実に起きた瞬間を表現している。映画やテレビは、ドラマなどがそうですが、何回も練習を重ねて一番いいところを編集して、それを皆さんに見ていただく。そういう意味では私どもの演劇というのは生ですから、二度と同じことはできないんですね。今回も土曜の夜と日曜の昼に二ステージ持たせていただきますが、同じ芝居はできません。演劇の三要素というのは、まず演じる台本、戯曲があること。それを演じる役者がいること。映画などでは「監督作品」と出るのですが、三番目の要素はお客さんなんですね。お客さんと初めて会って、役者が本通りに人物を表現して、その表現されていく物語をお客さんと共に楽しむのが演劇なんです。私も最近は演出の仕事が多いのですが、演出はあくまでも観客の代表で、先に練習を見て「こんな風に見たらもっと面白いだろうな」と物事を整理していく役です。誰々の演出作品、と言われたことは一度もないんですね。ですから私は脇役の仕事だと思っています。 例えば土曜の夜の公演ですと若い方が多く、若い話題にはワッと沸いたり反応があるのですが、翌日の公演で「ここで沸くだろう」と役者が力を入れますと、シーンとしたりします。後で考えてみると、日曜の昼というのは年輩の方が多かったりします。それだけで反応が違うんです。反応が違うとやっている側もうまく乗れるか、ということもあったりします。そのようなことを、今までやってきて重々感じているわけです。 劇団海鳴りは結成以来いろいろ紆余曲折しながら四十年間やってきました。この中で一番骨に置こうという部分が三つあります。一つは、地域に根ざした活動をしよう。二つ目は、観客の要求に応えよう。お客さんはどんな芝居を見たいのか。それを提供していこう。もう一つは私どもの中身の問題ですが、想像の質を高めていきたい。この三点を中心に据えてやってまいりました。例えばどんなに有名な物語でも、シェイクスピアをそのまま紋別に持ってきて、紋別のお客さんに喜んでいただけるかと考えますと…。私でも台本を見ただけで二度と見たくないぐらい、難解な言葉が並んでいます。これはやはり、共に楽しむという意味では違うんじゃないかと感じております。結局は地域に共通する話題、理解のできる人情などを織り交ぜながら、地域の物語を共に楽しみたい。そういう意味では五作品目の創作劇がベストなのかなと思っております。 結成の頃は何せ十七歳ですから、体力も気力もありましたので夢中になって芝居に邁進していました。その後どんどん年齢を重ねますと仕事が忙しくなってきます。結婚、転勤、いろいろ状況も変わってきます。そんな中で劇団海鳴りも団員が三名だけになったこともありました。公演も打てなくて、いつ解散しようかと悩んだ時期もありました。でもそこで頑張ってくれた仲間たちのお陰で、四十年を迎えることができたと思っています。今は二十代前半から六十代直前まで約十五名ぐらいの仲間で芝居を作っております。若い人たちがようやく一緒にやろうということで増えてきており、とても嬉しく思っております。 そういう四十年の歴史の中で、思い出したことがあります。確か結成十五周年、だとすると二十五年前、港ロータリーさんの結成の十周年だったか、はっきりしたことは分からないのですが、同じように産業会館で例会がありました時に呼んでいただき、お話をさせていただきました。その時に確か十周年なので、ロータリー精神に基づいてということで、私ども海鳴りに港ロータリーさんから十万円の寄付をいただいたんです。その節は本当にありがとうございました。結成以来、その後も含めまして、私どもにそのような寄付をいただいたのは、あの時一度限りです。市民会館の使用料は毎年数十万円。以前は八十〜九十万の使用料を払っておりました。あの時ご寄付いただいた十万円で、地方公演に持っていきます照明機材を中古品で買わせていただきました。今も現役で活躍しております。本当にありがたく、感謝申し上げます。 四十周年、二ステージを持ちまして、その後に四十周年記念祝賀会もやりたいなと欲張って考えております。小ホールで四十年を思い出しながら一杯飲みたいと思っています。ちょうど二五〇〇地区の地区大会の真っ最中、十月七日に士別市で北海道演劇祭が行われ、私どももそれに参加します。地区大会のほうに若干のお手伝いをさせていただきました。大成功をお祈りしております。 私どもの結成メンバーの十人というのは、一番年上が十九歳、下が十七歳でした。当然演劇に関するノウハウは全くないわけで、ただ好きだというだけでした。旗揚げまでは非常に苦労したのですが、ちょうど大学を終わって帰ってこられた先輩などに手伝ってもらいながら、何とか翌年旗揚げ公演を持ちました。 その後もこの紋別の地域で何回かお芝居を上演させていただきましたが、どうもやる側の自己満足の部分があったと思うんですね。 北海道演劇集団という私どもの仲間が、道内にたくさんあります。働きながら地域で演劇をやっている集団です。あるいは札幌を拠点にプロ活動をしている集団。そういう演劇集団が、北海道は広いからお互いに見合うこともなかなかできない。お互いに勉強し合って、もっと地域での演劇活動を活性化させようということで、横の連絡会議を作りました。それが北海道演劇集団と言います。それの恒例行事が二年に一度の北海道演劇祭です。その北海道演劇集団に私どもが加盟してから、先ほどの三つの目標を勉強してきました。ちょうど北海道演劇集団がこの三つの目標を掲げていたのです。なるほどなあと思いました。みんなにできるなら、私どもにもできないことはない。そう思って、それが今も私たちの目標になっております。ロータリーさんにも四つのテストがあるようですが、地域でお互いに自分たちの足りないものを補いながら、仲間意識を持って、自分に出来る活動をベストを尽くしてやっていきたいという意識は共通だと思っております。 これからあと何年続けられるか分かりませんが、せっかく四十年まで来ました。あと十年続けると五十年です。それまで私どもの体力が持ちますか分かりませんが、どうか皆さまのご協力を今一層お願いいたしまして、また一歩一歩歩いていきたいと思います。お願いばかりで恐縮ですが、この『満天の星』、十月二十八、二十九日に市民会館大ホールで上演いたします。当日のパンフレットをこれから作るのですが、ご列席の会社の広告をお願いに歩くこともあろうかと思います。ご協力願えれば大変ありがたく思います。 私からはこの辺で終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。(おわり) |
2006/09/24
|
カテゴリ: 例会記録 :
執筆者: admin (11:10 pm)
|
地区CLP研修セミナー報告 会長 佐 藤 宗 晴 君 先般、釧路におきまして地区CLP研修セミナーが開催されました。当クラブより私と伊藤副会長、地区より平野地区幹事、山市さん、田巻パストガバナーが出席いたしました。どうもお疲れさまでございました。 午前中、地区研修リーダーの道下PGよりご講話をいただきました。現在のロータリー活動に対して多大な危機感を持っておられるようで、いろいろお話を聞いておりましたが、こちらの耳が痛いようなお言葉も多々ありました。日本のロータリー会員は十万人を切るという現状で、地区でも減少傾向にあります。常にお話になられるのですが、ロータリー会員の質を保ちつつ、どうやって人数を確保していったらいいのか。これが常々これからのロータリー運動の悩みの種になっているとのことです。 ロータリーの組織はテリトリー制限、職業分類、出席義務など厳しい選考基準で会員を選んでいた、と過去形を使わなければならない現状に対して、かなり残念だとお話になっていました。そういった意味を通して、ロータリーに対する誇りをどうやって保っていったらいいのかを自問自答しているというお話でした。今回の研修セミナーを見ても六十八クラブ中で登録したのが四十四クラブでした。 質疑応答等の議論を通して感じたことですが、うちのクラブは前年度小林会長と西川幹事にご苦労をいただいてクラブ細則を改正し、当クラブの組織図にも手を加えて、新しい形で本年度をスタートさせていただきました。地区の現状を見ますと、私どものように現在CLPを実施しているのは七クラブです。予定中が四クラブ。準備中が四クラブ。いまだ検討中が三十四クラブ。様子見が十九クラブありました。 小野ガバナーが月信等を通じて、ロータリー用語の解説などをコラムに書かれております。八月号では“Service Above Self”のAboveについて、九月号では“Vocational Service”のVocationについて解説されています。“CLP”のClub、Leadership、Planについても言葉の持つ意味とその解釈について、そういったご指導もいただけたらと思います。 本年度からCLPを導入させていただきましたが、私なりに解釈すると、クラブの自主性を尊重してクラブに合ったロータリー活動や運営形態を作っていこうという形でこれを行っていけばいいかなと思っております。形が固定されたものではなく、これを行って「もう少しこうしたらいいんじゃないか」というものがあればクラブ内で話して、形を変えていく。朝令暮改という意味ではなく、経験を通して、どこのクラブにもない私たちのクラブの形を作っていけばいいのかなと思います。 各クラブ規模が全く違います。人数を見ても最小のクラブが七人、最大が一一三人です。二十人未満のクラブが十五。三十人未満のクラブが十八あるんですね。これで三十三です。全体の半分が三十人未満のクラブであり活発な運動をしていくために大変な苦労をしているようです。話を聞くと本当に涙ぐましいと言いますか、頑張っているなと感じます。私どものクラブも最高六十何名という時から、今は四十八名になっています。会員数の減少の中、昔と同じ組織形態で維持するのは難しわけです。小さいクラブなどはこういうことを言われる前から、ひしひしと感じていたのではないかと思います。 うちは人数的に比較的恵まれた状態にあります。CLPを作るときに、一人二役の委員会構成を取れるC案に基づいて作ることができたわけです。ところがなかなかこういった構成ができないクラブが、半数以上あるのではないかと思います。そういったクラブがこれから新しい組織形態をやってみて、そこから試行錯誤してそれぞれのクラブに合った組織、運営形態を作っていくことが必要なのではないかということです。 山市君がこの前の会報に「各クラブの身の丈にあったクラブ運営と組織作りを基本として、前向きに取り組もうとしている姿勢が感じられるセミナーでした」とまとめていましたが、その通りだなと思っています。 うちはともあれCLPを実施し、クラブ運営しているわけですから、この点においては他のクラブよりも一歩進んだ状態です。ただこの形を変えて内容がどう変わったのか、どう活性化できたのか。これからはそれを順次検証しながら、また形を変えていかなければならないと思います。皆さんもうちのクラブがどういう形を取ったらいいか常に考えながら、気が付いたことがあればご提案いただけたらと思います。 地区CLP研修セミナー報告 副会長 伊 藤 国 雄 君 今月10日、佐藤会長と釧路全日空ホテルでのCLPセミナーに参加させていただきました。セミナーの参加登録は一〇五名でした。ガバナー補佐の薬師寺哲也さんから小野ガバナーのメッセージの代読があり、続いて地区研修リーダーの道下PGから「ロータリーのさらなる究明」ということでお話がございました。 最近のロータリークラブの現況につきまして、会員の減少がクラブの衰退に繋がっているということでした。二十一世紀を迎えまして、ロータリアンはロータリー哲学を追求し、魅力あるクラブにするためにもう一度原点に戻ろうではないかということでした。目標計画と計画の遂行も求めなければならない。クラブ例会においても自己研鑽と奉仕を学ぶところであり、ロータリアンとしての心得を説いておられました。 続いて、釧路ベイRCの成田CLP推進委員長よりお話がありました。CLPは二〇〇五年のRIの定例理事会において、クラブ運営管理の枠組みとして正式に採択されております。主旨としましては、大変会員基盤が脆弱になり機能が低下しているクラブを蘇生させ、効果的なクラブ運営を行うということです。意図としては、クラブ改革をより高いレベルで、効果的で継続性のある取り組みを可能にする。また利点として、クラブの運営を簡素化することにより多くの時間が生まれ、奉仕と親睦に集中できるということでした。会員が多くのプロジェクトに参加して活動の機会も増し、退会の防止や指導者の育成にも繋がるのではないかということです。また大きな特徴として、長期目標を設定する。単年度ではなく、長期間にわたった目標を作ることであります。そして効果的なクラブ管理とクラブの強化を図るということだそうです。 内容はいろいろありました。地域社会のニーズを取り上げてプログラムを実施する。プログラム参加を通じてロータリー財団を支援する。クラブの枠を越えて、ロータリーにおいて奉仕できる指導者を育てる。クラブの役員が指導の一貫性と継続を図っていく。会長エレクトはクラブの年間目標と長期計画を立てる。指導者の継続性を確保するよう努力する。クラブ細則に修正を加える。親睦を深める機会を提供する。会員全員がクラブのプロジェクトや業務に関与できるように計らう。今後力を入れてほしいということとして、新入会員には一貫したオリエンテーションを定期的に実施する。現会員においても継続的に教育の機会を提供する。情報の交換も行われるといいのではないか。これらのことを毎年見直してはいかがですかということです。 CLPのモデルケースとして会員数に応じた委員会構成のA案、B案、C案の試案が提示されておりました。実施クラブ、検討中のクラブですが、広尾クラブが実施されておりました。委員会が十九から十七にしてやっているそうです。今後十六委員会に持っていくとのことです。音更クラブが〇四―〇五年に検討されましてB案を実施し、九から六の委員会にしたそうです。阿寒クラブはC案を実施し、当初八名の理事が十一名に増えました。取りあえず一年間の試みとしてやっているそうです。次年度については今検討中だそうです。旭川西クラブが十九年七月より実施予定で、紋別クラブも地区大会が終わったら検討してみたいとのことです。旭川東北クラブが五つの委員会で準備中で、A案を思案中だそうです。釧路ベイも検討中、北見も検討中。まだまだ各クラブ検討中とのことでした。 |
2006/09/19
|
カテゴリ: 会員卓話 :
執筆者: admin (9:08 pm)
|
『趣味を通しての奉仕の実践』 田中康朗君 皆さんこんにちは七月より入会させて頂きました田中でございます。 本日新入会員卓話をさせて頂く事となり不慣れなためお聞き苦しい点あるかとは思いますがしばらくの間おつき合いいだきますようお願い致します。 本日の御題と致しまして趣味を通しての奉仕の実践といかにもこじつけっぽいですがお話させて頂きたいと思います。 私の幾つかある趣味の中で鉄道の趣味があります。最近の言葉で言う鉄道オタクと呼ばれているものに属するかと思います。これがなぜ社会貢献になるかと言いますと色々と集めているものが今は無き名寄本線他地元周辺にまつわるものなのです。 いつかこの収集したものを市民の方々にご披露したい気持ちで居ります。一部は現在道の駅おうむのバス待合所で披露しておりますのでお立ち寄りの際はご覧いただければと思います。もちろんSLやディーゼルカーなど私のお小遣いで買えるものではなく主には列車行き先標(通称サボ)やこまごまとした備品関係、あとビデオなどの映像関係などがあります。なぜこのような趣味を始める事になったかといいますと紋別に生まれて育ち小学中学高校と通学の度線路を渡って居りました。鉄道があることは当たり前のように思っていた当時は特別な思いはそれほど無く母方の祖父が国鉄のOBでありながら興味を示すことはありませんでした。やがて高校を卒業し大学に進むようになり紋別を離れ札幌などで過ごすようになり国鉄はJRへ民営化になりニュースでは赤字対象路線が次々と廃線に追い込まれていきました。廃線に追い込まれた路線には近隣を走っていた渚滑線、興浜南線、興浜北線、相生線、美幸線などで残念に思っておりましたがその後まさか紋別を走っていた名寄本線までもが廃止されるとは夢にも思っても見ませんでした。そんな中札幌駅の地下コンコースに鉄道の日にちなんで即売会が行われていました人が群がる中でなにが行われているのだろうと覗いてみると鉄板の山駅で使用された備品の数々痛みの激しいものから予備品として作られたものなど真新しいものも有りました。 廃線とJRになって国鉄時代の不要になったものが沢山出てきたのであったと思います。そんな中我が名寄本線にまつわるものが無いかと探しましたが昭和六十年当時まだしっかりと走っていましたので残念ながら出てきていませんでした。その時手に入れた札幌―網走 札幌―稚内のサボはその後急行大雪、急行利尻の寝台車用のものと分かりました。その後も学生のバイト代で買った渚滑線、興浜南線、興浜北線、相生線、美幸線など有りましたが約二十年に渡り封印されたまま時間が経過しました。おそらくそのままの状態であれば今も忘れ去られたままであったと思います。復活してしまったきっかけはインターネットが出来る環境になったことでした、色々と検索していくうちにオークションや専門店などの情報が入り昔諦めていた地元周辺の物が出品販売されており思い出の列車、急行紋別号の愛称板を手に入れ事が出来てしまいすっかり忘れていた記憶がよみがえってきてしまいました。その後北海道の鉄道の歴史を調べていくと北海道が一次産業を中心に発展していった様子が手に取るように分かり先人の方々の苦労や努力を改めて垣間見ることが出来たように思われます。それでは大まかな北海道鉄道の歴史を文献よりおさらいしたいと思います。文献には無い生のお話は沢山の先輩方がご承知とは思いますのでここではお話いたしません。北海道での始めての鉄道は一八八〇年明治十三年十一月に幌内鉄道の一部手宮―札幌間が開通しSL弁慶号が客車三両を引いたむろん一番の目的は幌内炭鉱の石炭の輸送でした。 その後石炭を軸に幾春別、岩見沢、砂川、歌志内など路線を延ばしていき、明治の後半までには各鉄道会社を政府が買収してから道内主要都市にその路線網は延びていくのでありました。我が名寄本線の前身名寄線も計画は第二期線に組み入れられていながらも財政上の理由で計画が遅れていたが鉄道期成会が各地に作られ、陳情・請願運動が活発に行われついに大正五年二月政府提案となり大正九年十月名寄西線が開通翌大正十年三月に開通しその年の十月には名寄―中湧別一二一・八キロの全線が開通した。この全線当日の十月五日、北海道内の列車時刻表が改正となり、名寄線全線開通後は距離のうえからも、同線経由の客貨物数量の大幅増加が見込まれるものと推定し、運転系統と列車の接続、継走関係を道内全線に渡って根本から手直しだったと書かれており、期待された路線であったことが伺い知れます。またこれにより遠軽地区の木材業、湧別、紋別、興部の漁業あるいは各地区の農業がこれによって急激に発展し紋別網走野付牛の商圏を拡大するなど名寄線効果は大きかったと記されております。実際には鉄道開通前明治三十四年の北海道内の人口は一〇一万一〇〇〇人でそのうち北見、十勝、釧路、根室、天塩国は十七万四〇〇〇人だったが鉄道開通後の明治四十四年には北海道内一六六万七〇〇〇人のうち三十七万人が北見、十勝、釧路、根室、天塩国の人口ではたった十年で二一七%の増加率だったそうです。 そんな創始の頃の北海道も鉄路から陸路へと主役を譲らざるおえない状況となりました。 実際私も道内の移動では冬の一部を除き道路での移動です紋別のこれからは道路網の整備が急務となっているのは皆さんもご存じの通りであります。そこでもう一つの趣味が道の駅巡りであります、近場の廃線跡を見に行きますと必ずといって良いほど道の駅があります。存在は知っているもののスタンプ押すためにわざわざ札幌NO本州NOの車が老若男女スタンプ帳片手に降りてくる姿は私には理解できず、ドライブ途中の売店ときれいなトイレのある場所位にしか思って居りませんでした。 近場であります網走管内の道の駅に行ってみるとその土地の名産品名所が沢山あり今まで点と点の移動ばかりでじっくりと立ち寄る事が無く北海道を知っているつもりが実は近隣の良いところも知らない事に気づかせてくれました。 それからは地場でしか味わえない特産品などをお土産に買ってくるなどすっかり道の駅巡りに魅了されてしまいました。そんな中道の駅があるのは町村がほとんどで大きな町はほとんど登録をしていません、すべての町ではありませんが真剣に力の入れているところも多く見受けられますこの近辺では佐呂間町サロマ湖津別町のあいおい道北美深町などでまた訪れてみたくなるところも多くあります。 また、道央の道の駅「ニセコビュープラザ」では、六十軒の農家による農産物直売所があり、年間一〇〇万人以上が訪れる。一軒一平方メートルの販売スペースで、中には年間一〇〇〇万円を売り上げ、六十人の組合員で総額一億六八〇〇万円を超える。住民自治から産業クラスターが確実に育っていて今では一日の売り上げが一九〇万円になる日もあるようです。 老若男女それぞれ色んな楽しみ方があり年齢的にも二十代の方であれば友人などとドライブがてら旅を楽しみ三十代四十代では夫婦でまた子供を連れての遠出の旅であったり六十代以降の方はキャンピングカーで全国行脚の旅をされている優雅な方など本当に様々でありました。たかがスタンプなのですがある程度たまっていくとあそこも行きたいなどいうことになってしまい高騰しているガソリン代を捻出して皆さん頑張って居られるようです。 長い時間同じ場所に居るのではなく短い時間が勝負ですので紋別の道の駅ももう少し工夫をするか別にもう一カ所作るなどしていかなくてはせっかくの施設でも売り上げをみすみす他に渡しているようで大変もったいなく思います。近場で安くという現在の旅の形態からいうと今後ますます増加していく傾向にあり最近ではテレビで紹介されることも頻繁になってきました。 良質な食材が豊富にある紋別であれば他にひけを取らない事が沢山出来るはずだと思って居ります。是非とも黙っていてもリピーターが来る魅力ある道の駅になって紋別市の顔となってもらいたいと心から思っているところであります。 鉄道の趣味から道の駅へ新旧の交通手段のお話となりましが平成元年四月三〇日の名寄本線の廃線以来十七年が経過いたしました、当時より紋別の町も大きく変貌して鉄道の有った事など忘れ去られようとしておりますが、一個人の趣味の範囲ながらも私たちの子供たちや後世に先人たちの努力や歴史により今の紋別がある事を伝える一つの証拠として、いつか役にたつであろうと思ってはおりますが、家族には汚いじゃまだなど不評極まりないこんなオタクな趣味ですが頑張って続けていこうと思っております。 最後となりますが、いつか紋別信金さんのカレンダーに採用していただけることを祈願致しまして本日の卓話を締めさせていただきます。 ご清聴ありがとうございました。 |



R情報